礼節

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日中、大学時代の友人から「元日絞り」が送られてくる。
昨年は、お願いしていたのだが、今年はその機会もなかったのだが、律儀に年賀の挨拶だ。元日絞りは、その名の通り元日の未明からその年最初のお酒として絞ったもの。友人がそれに参加しているのだ。
嬉しくて、少しだけ多めに飲んでしまった。

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夜、BOOKOFFを覗く。
20%OFFということで、いつもよりお客さんの入りは良い。
欲しい本はなく、文庫の棚で珍しい杉本秀太郎の「新編 洛中生息」を見かけたので、既に持っているにもかかわらず、もとめる。

「新編 洛中生息」 杉本秀太郎

帰宅後、チェックしていたら署名本であった。
宛名は調べてみたが、不明につき、一般の読者なのかもしれない。

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パラパラめくっていたら、「正月から節分まで」の一節に納得。

……
年始のあいさつにきた人は、玄関で応々と呼ばわり、はきものを脱ぐことはせず、その場であいさつをして、さっさと帰っていくのがしきたりだったからである。店の間に、ひつじ草の池沼を描いた時代屏風を立てかけ、その前に名刺受けをととのえておくと、名刺を投じただけでそのまま去ってゆく人も少なくなかった。年始の客は数が多いということくらい、だれも心得ていたから、あいさつ以外の冗語は互いに遠慮しながら、年始の往来をとり交わしたのだ。これを水くさいというなかれ。礼節は、形式的であればあるほど虚礼から遠ざかるものである。砕けた付き合いがもてはやされる時代は、かえって虚礼がはびこる時代だろう。

「礼節は、形式的であればあるほど虚礼から遠ざかるものである。砕けた付き合いがもてはやされる時代は、かえって虚礼がはびこる時代だろう。 」