再会 エイゼンシュテイン

2月8日(土)柿衞文庫で開催されたシンポジウム 『岡田柿衞をめぐる文化圏』 のパネルディスカッションに登壇。基調講演のタイトルは『俳句と西洋』。映画・比較文学研究者の四方田犬彦先生によるお話しだった。かなり貴重な経験をさせていただいた。

柿衞文庫で開催中

なぜ、わたしが登壇したかというと、昨年春に開催された小企画展『柿衞さんの中学生時代』で展示された資料の多くが、当初、古書みつづみ書房に持ち込まれたものだったから。うちのお客様で蒐集家の方が持ってこられたスケッチ帖を見せてもらった瞬間に『これは柿衞文庫におつなぎしなくては』と思い、その後、同館の学芸員さんに丹念に調査していただいた結果、もちろん真筆で貴重な資料と評価されて企画展に至ったという経緯があったからだ。

2019年4月の展示チラシ

 

四方田犬彦先生による基調講演『俳句と西洋』

『俳句』はもはや日本独自の文化ではなく、世界中に浸透し詠まれ愛されていいて、文芸、詩作のみならず映像表現など芸術分野にも広く影響を与えている。というお話しで、その中で、私ははからずも再びエイゼンシュテインと出会うことになる。

 

セルゲーイ・ミハーイロヴィチ・エイゼンシュテイン
Sergei Mikhailovich Eisenstein
1898/1/10 – 1948/2/11
ソビエト連邦の映画監督
※写真はwikipedia commonsより

最初の出会いは大学時代。一般教養の『美学及び芸術学』の授業で衝撃を受けた。

メリエスの『月世界旅行』からはじまり、グリフィスの『イントレランス』、キューブリックの『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』など映画史に残る名作を題材に、クロスカッティング、クローズアップ、カットバックなどの映像手法、モンタージュ理論、サブリミナル効果等々、現代の映像表現にもつながる理論についての講義で、毎週毎週とても楽しみな時間だった。

何よりも印象に残るのはセルゲイ・エイゼンシュテインが1928年に監督・制作した『戦艦ポチョムキン』の有名な『オデッサの階段』のシーン。

ポチョムキン号の兵士たちが起こした反乱を支持する民衆が、ロシア軍の兵士たちに虐殺されるシーンでは、撃たれた母親の手から離れた乳母車が階段を落ちていく様子を、兵士たちの足元、落ちる乳母車、倒れながらも乳母車の行方を見守る民衆たちが繰り返し繰り返しつなげられる。


The baby in the pram falling down the “Odessa Steps” from the movie “The Battleship Potemkin”
wikipedia commonsより

このモンタージュ理論の手法は、エイゼンシュテインが1928年に初の海外公演をした、日本の歌舞伎の舞台での演出を参考にしたという。彼は晩年には漢字の研究をしており、異なる意味を持つ文字が重なり合い、更に意味を持つ『漢字』の成立に非常に関心を持ち、さらに俳句という短文詩に出会い『俳諧とは凝縮された印象主義的スケッチである』と論じたとという。

学生の頃に映画の黎明期に惹かれた私にとって、映画が出会ったモンタージュという映画独自の手法が、日本の漢字や俳句・短歌の影響に裏付けられていたことにまたもや衝撃を受けた。(あの時、授業でやったのかもしれないけど、覚えていなかっただけかも・・・)

 

さらなる衝撃は、シンポジウムの翌日、ご来店くださった星月夜(母)さんが、うちの商品の中で、ほとんど誰も気に留めない“ふるい映画チケット”の中から1977年に千日会館で上映された『戦艦ポチョムキン』のチケットを発見してくれたこと。娘さんがロシア映画フリークなのだとか。

そしてこのブログを投稿する今日2月11日がエイゼンシュテインの命日だという事実。

無数の点は線であり面であり世界であることを感じずにはいられない日々である。