残すべきもの

永井荷風「麻布襍記」(大正13年 春陽堂)

『古書』という古いものを扱うようになって、古き良きもの、価値のあるものは、自然に、勝手に、自ずと残るものではなく、『残そう』とする意志が働き、努力されて初めて『残る』ものだとつくづく思う。平安期の書簡でも、戦時下に書かれたノートでも、誰かの『残す』という行為があったからこそ私たちも目にすることができる。

古書店のかたわら、伊丹市立図書館の市民活動で、まちの歴史を調べてアーカイブする活動をしている。市内の猪名野神社や旧岡田家住宅などの歴史的建造物は、紆余曲折あって現在まで大切に守られ残されてきた。だからこそ調査や研究が進められ、その内容が書物・印刷物にまとめられている。わたしたちの活動は、その調査を紐解いて再編集しているに過ぎない。

かたや、一般住居や町並みは、簡単に上書きされ更新されていく。たとえば、閉店したコンビニエンスストアの後にカレー屋ができたり、田んぼだった場所に道ができ家が建ちはじめる。そうすると、元は何があったかなど、近隣の住民でさえしばらくすれば気に留めることもなくなり、容易に思い出せなくなる。

今秋、伊丹駅前の市営住宅が取り壊される。 東海道新幹線が開通したり、万国博覧会が開催された高度経済成長期の真っただ中の昭和40年代に建てられた住宅だ。新しい駅が整備され、宅地もどんどん開発されて町は活気づき生活はより便利になっていっただろう。古い家から最新の設備が整ったモダンな外観の団地に入居した住人はどんなに高揚し、いろんな家族のドラマも生まれただろう。しかし、耐用年数をまだ20年残したその建物は静かに役割を終えて取り壊され、ここでの暮らした人たちの記憶からもいずれは消えていく。せめて外観だけでも、間取り図や写真だけでもアーカイブとして残したい。最後を見届けられただけよかったのかもしれない。

センチメンタルに浸りたいわけではない。町は成長するものだし、上書きされて風景は変わっていくものだ。ただ、簡単に壊して更新していいものと、守り残していくべきものくらい、ここ住むわたしたちにはわかるはずだ。

JR伊丹駅前にある演劇専門ホール『アイ・ホール』の事。今、その存続が議論されている。


「昔、ここに劇場があったんだよ。」
「舞台の形をフレキシブルに変えられる、他に例のないめずらしいタイプの演劇ホールだったんだ。」
「『公共ホール』だから借りやすくて、若い人たちの勉強や発表の場でもあったんだよ。」
そんな記憶や記録は、薄い冊子程度には残すことができるかもしれない。
けれど、わたしたちが文化・芸術都市の拠点の1つにと、このホールを建設した当時の情熱や、運営に携わった人の想い、この舞台で自分たちの表現を磨き、作り上げ、発表してきた様々な舞台人たちのエネルギーも、未来に芸術文化をつなげていく可能性も、ホールがなくなればたちまち消えてしまう。本当に、目の前にある理由だけでこの事業を終わらせていいのだろうか?

この規模で、すぐれた機能を備えた専用ホールをつくることは、この先、他の自治体でもまず無理だろう。そんな稀有で貴重な場所を、近視眼的な理由だけで更新していいものだろうか? どうにかしてこの機能を『残す』という方向を検討しなければ、わたしたちは本当に大切なものを失ってしまうのではないだろうか?

文化行政の担当者も、施設管理の担当者も、演劇人も、市民も、わたしたちの共有財産について、もっとプライドをもって考えなければならないと思う。