columns

ことば、文字

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梨木香歩の本を読んでいたら、こんな文章に出くわした。

「縁だけをピンクに染めた白いコンペイトウを、びっしりと敷き詰めたようなミゾソバの花の群落。」

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ミゾソバ

コンペイトウか、うまいこと言うなあ。
目の前に景色が浮かんできた。

読んでいる「渡りの足跡」
ここ最近読んだ2冊「ぐるりのこと」「不思議な羅針盤」と本文書体が違う。
正確に言うと、「ぐるりのこと」「不思議な羅針盤」の2冊も異なる。
なんだかこういったことが気になってしかたがない。

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「渡りの足跡」
本文書体にしては文字が太い(ウェイトがある)。
歳をとり、眼が弱くなっている今は、こちらの方が読みやす。

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「不思議な羅針盤」

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「ぐるりのこと」

印刷会社が変わったり、年月が変わるとそういったこともあるかと思うが、できるだけ合わせて欲しいものだ。
まあ、渡りの足跡はネーチャーライティングなので、エッセイとは別のジャンルという位置づけなのかもしれない。

ゴッホの贋作を見て覚えた感動は本物か

Gansaku


表題の記事がほぼ日刊イトイ新聞に掲載され始めたのが、10月10日。
だから、その5日ほど前だったかと思う。
ふと、大原美術館のゴッホの贋作を思い出して、図録を探した。
それは、思っていたところにあったが、図録は2冊あり、1冊はゴッホが掲載されており、もう1冊にはそれはなかった。
ちょうど、贋作が同定される前後を表していることになる。
絵葉書も買ってあったような気がしていたが、それはなかった。
もしかしたら、小さなポスター(図版)だったかもしれない。
学生の頃、今ほど多くなかった来館者の中、絵の前で随分と見入っていた。
それほどまでに、やはり魅力的だった。
感動したといってもよいのだと思う。



ほぼ日に連載された国府寺司さんもやはり学生時代にこの贋作に感動したという。

以下、インタビューから

──  先生がこの贋作を見たときの感動って‥‥。
圀府寺 本物でした。目の前にある作品は贋作かもしれないけど、
    あの感動に嘘はなかった。
──  偽物ってじゃあ何だという気になりますね。
    その言葉を聞くと。
圀府寺 長い時間、見入っていたのを覚えています。
………


圀府寺 でも、仮に偽物だと判定されようが、この絵は、この作品は、
    自分にとって何より大事なんだ‥‥という人は、いると思うんです。
――  先生の感動が、本物だったように。
圀府寺 情報の氾濫している時代ですから、わたしたちの「感動」にとっては
    純粋な「視覚」だけじゃなく、作家の名前や、その絵に添えられたテキスト‥‥。
――  ええ。
圀府寺 それらも、大きな役割を果たしていますよね。ようするに、
    かならず「色眼鏡」で見ています。
――  ゴッホの作品だとわかった時点で、素晴らしいはずだ‥‥とか。
圀府寺 そうなります、どうしたって。色眼鏡なしで見るのは、無理です。
    だから、わたしが学生に言うのは、色眼鏡を外すのは無理だけど、
    自分が色眼鏡をかけているということは、きちんと認識しておきなさい、と。
――  絵画を見るときには。なるほど。
圀府寺 本物とか、偽物とかは、情報です。心がふるえたこととは、本質的には
    関係ないと思うんです。そこを明らかにすることは、もちろん、
    大切なことですけれど。
――  はい。
圀府寺 この絵が自分の心にとってどうか。この作品を前にした感動は本物か。
    そのことは、真贋とは別個の問題。


情報でない絵画の感動とは何か。
写真やカレンダー、TVCM 心が動くものがある。
心が動くことが大切ならば、実物(真贋でいう真作)である必要はないのでは。
それは、モノではなく、情報ではないのか……

絵画は、どこにあるのか……

皿の中に、イタリア

 

 

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内田洋子さんの最初の「ジーノの家 イタリア10景」に感心してから新刊が出るのを楽しみにしていた。

これは、単行本を見送り、文庫本なるのを待っていた。

期待に違わず、ぐいぐいと読ませる。

きびきびとした文章は、著者の人となりも反映しているようで、内田さんに引き寄せられるように登場する人物が実に魅力的に見える。筆の力というよりも、人の懐に飛び込む力のなせる技なのかもしれない。今までの作品にあった人物主体に少し料理を加え、味付けをしてある。

トマトをざく切りとか、採りたてのバジルをすり潰すといった文章がおどり、荒っぽくはあるが、その文章だけで口中にトマトを放り込まれたように唾液が出て来る。

これを読んだ幾人かの夕餉はパスタになったはずだ。

糸井重里

糸井重里の「抱きしめられたい。」を読みながら思った。

昔よりも言葉が身体に染み込んでくるようになった。

以前なんでもない言葉であったものが、胸にドンと響くようになってきた。

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「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載されていたコンテンツを中心に2015年のものをまとめたのが、「抱きしめられたい。」。

シリーズで10冊目。10冊目が発刊されたのは遅かった。もう今年は出ないのだろうかと思っていたら、12月になってようやく発刊された。

中に掲載された、前任天堂社長の岩田聡さんを追悼する文章が何度読んでも胸に響く。


世界のすべての灯を消せ
真っ暗な夜をつくってくれ
その無力で
ただそれだけをしてくれないか

 

編集を担当した、ほぼ日の永田泰大さんが本の紹介の中で語っていた。

http://www.1101.com/books/dakishimeraretai/fromeditor.html

この本を編むにあたり、
岩田聡さんについて書かれた糸井重里のことばを
ぼくはほとんど削ることができませんでした。
それで、本の真ん中くらいのところに、
正確にいうとちょっと後ろくらいのところに、
ほとんど、まるまる、収録しました。

まったく、その通りだな。

私も、糸井さんのこの時の言葉を今もテキストとして保存している。

人と人がつながっているって、こういうことなんだなよと思う。

ロボットと暮らす日

23日放送のNHKドキュメンタリー SFリアル「#2 アトムと暮らす日」の録画を見る。

テーマは「ロボットとの生活」。
女性ロボット研究者が最先端の人型ロボットと半年間を過ごした姿を追ったもの。
ロボットは、Aldebaran Robotics社により開発されたNao。多言語による会話ができ、カメラやセンサーが組み込まれ、動作も踊りやサッカーができる程の能力を持っている。

研究者がロボットと一緒に生活しはじめ、ゲームをしようというロボットとの会話の中で2つのゲームしか知らないというロボットを前に、ゲームアプリケーションのダウンロードが必要になる。会話、動作など基本的にはアプリケーションの追加によってどんどん成長させることができるというしくみ。

数ヶ月暮らした後、ロボットのメモリーがクリアされるという事故が発生し、それにより女性研究者は少なからぬ喪失感を味わう。しかし、そこはロボットと割り切り、また一から協同生活を始めるのだった。女性には婚約者がおり、当初はロボットにあまり興味をしまさなかった彼も時間が経つに連れて、ロボットの座っている下を掃除してやったりと何かと面倒をみるようになっていく。
欧米での人型ロボットに対するイメージはデモーニッシュなイメージがある。
フランケンシュタインもそうであるし、アシモフ原作の映画「i,robot」などもそれを象徴している。一方、先のAldebaran Robotics社のロボット開発のイメージの中にはアニメーション「鉄腕アトム」のイメージが入っているようで、人に対してフレンドリーな存在としてのロボットがある。ロボットに対するイメージも変わりつつあるのかもしれない。
そうした流れを見据えたように、最新の人型のロボットは、表情、動作などより人間に近い機能を持つように進化しているという。

私が、感心したのは最新のロボット技術の進化による、より人間の表情や仕草に近いロボットではなく、機能が足りなくても、それを補い、こちらから近づき親近感を覚え、コミュニケーションをとろうとする人間の能力だ。何がそうさせるのか。
人は、薄汚れた”ぬいぐるみ”とでもコミュニケーションすることができるのだ。

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1999年11月 (株)メディアファクトリー発行

志村ふくみ展 ― 裂を継ぐ

 

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帰省時の451booksで買った一冊。

佐谷画廊で開催された志村ふくみさんの創作を紹介した展覧会の図録。

今まで染め織ってきたものの端布を使い新たに創った作品の数々を見ながら、材料と創作ということに想いをはせた。

志村さんは染織家なので、反物を織った時点で既に作品ということがいえるのかもしれない。しかし、もう少し踏み込んで言えば、着物に仕立てあがって初めて作品が完成するということなのかも知れず、それであれば、反物はまだ材料にすぎないとも言える。

用のための材料がそこを離れた時に、もっと純粋な創作は生まれてくるのかもしれない。

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花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部

【花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部】

現在読んでいるのが、これ。

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NHK朝の連続ドラマの主人公として、暮しの手帖社の大橋鎭子さんが取り上げられ、花森安治、大橋鎭子を採り上げた本、雑誌が多数出版された。

出版されたといっても、多くは既に刊行されていたものの復刊、文庫化が多いのだが、これは24年間暮しの手帖社に勤めた著者の新刊で、当事者ならではの貴重な記録となっている。

目次を全て拾っていては大変なので、章立てのみ。

第一章 銀座の暮しの手帖編集部

第二章 暮しの手帖研究室と日用品のテストの誕生

第三章 なかのひとりはわれにして

第四章 日用品のテストから本格的テストへ

第五章 暮しの手帖研究室の暮し

第六章 いろいろな記事の作り方

第七章 編集部の泣き笑いの日々

第八章 「戦争中の暮しの記録」

第九章 1世紀100号から2世紀1号へ

服飾の読本

【服飾の読本】

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NHK朝のドラマ「とと姉ちゃん」のモデルである大橋鎮子が出版した本。
発行は、衣装研究所

花森安治の処女作。
暮らしの手帖に連載していたものをまとめたものだ。

装幀が素晴らしい。タイトル文字、名前の位置も良く考えてある。
発行が、昭和25年。私の手にあるのは、8月1日の第4刷。初版が7月25日。

内容は、服飾についての具体的なアドバイスやおしゃれのポイントなどが中心だが、戦後の貧しい時代にあってもおしゃれを楽しむ余裕や美しいものを感じる感性が大切であるということを謳っており、暮らしの手帖に流れている基本そのものだ。

本文中の見出しを拾うとだいたいの本の内容が分かるかと思う。

美しい感覚が光る時代
美しいものと高価なものと
美しいものに誘惑される
飾りすぎるな
一番いいものばかりつけたがらぬこと
ほんとうの美しさ
美しく着るための勉強とは
美しいものを見分ける感覚
わざとらしさについて
おしゃれを軽蔑するおしゃれ
スカラシップ好きは感覚が低い
女学校の制服について
おしゃれ狂女にさせたのは誰か
通学服は花のように
女学校の先生の服
粋と上品と
個性とは欠点の魅力である
すきのない身だしなみ
ひとに似合えば自分に似合わぬ
自分に似合うデザイン
自分の服のデザイン

ここまでで、約30頁。全体の1/7程だ。

ざっと眼を通していて、はっとした一文。

ただ、一つのもの
現代の発達した美容術、整形術でも、なんとしても、お化粧出来ない場所が、人間には一ヵ所だけある。それは、眼の光りである。

 

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本の奥付。

花森安治らしさが出ているのが、左端の文字。

本を担当した、職人の名前が入れてある。

全てが花森安治の信念と美意識に貫かれている。

ニューヨーカー短編集

【ニューヨーカー短編集】

カミさんが引っ張りだしてきた、私が高校生時代に購入した文庫。

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昭和48年2月10日初版
昭和49年3月30日四刷

秀逸な装幀(安彦勝博)。

収録作品を拾ってみる。

せせらぎ      アルトゥーロ・ヴィヴァンテ(常盤新平訳)

夏の読書      バーナード・マラマッド(菊池 光訳)

未来の父      ソール・ベロー(永井 淳訳)

ランス       ウラジミール・ナボコフ(矢野浩三郎訳)

ノボトニーの痛み  フィリップ・ロス(小菅正夫訳)

生涯はじめての死  エリザベス・テイラー(深町真理子訳)

盛 夏        ナンシー・ヘイル(武富義夫訳)

キャッチボール  リチャード・ウィルバー(志摩 隆訳)

夏服を着た女たち  アーウィン・ショウ(深町真理子訳)

日曜日には子どもは退屈  ジーン・スタッフォード(深町真理子訳)

あすも、あさっても…… しあさっても……  ジョン・アップダイク(小倉多加志訳)

In Gre……      ホーテンス・キャリッシャー(小尾芙佐訳)

感傷教育      ハロルド・ブロドキー(青木日出夫訳)

「暮らしの手帖」とわたし

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平成22年刊。

 

今、NHKの朝のドラマ「とと姉ちゃん」のモデルとなった大橋鎮子さんの著作。

刊行当時、お元気だった大橋さんもご存命であった。

今回、ドラマが放映されるということで再読する。

思いと工夫、仕事とはこうありたいものだと思う。