columns

糸井重里

糸井重里の「抱きしめられたい。」を読みながら思った。

昔よりも言葉が身体に染み込んでくるようになった。

以前なんでもない言葉であったものが、胸にドンと響くようになってきた。

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「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載されていたコンテンツを中心に2015年のものをまとめたのが、「抱きしめられたい。」。

シリーズで10冊目。10冊目が発刊されたのは遅かった。もう今年は出ないのだろうかと思っていたら、12月になってようやく発刊された。

中に掲載された、前任天堂社長の岩田聡さんを追悼する文章が何度読んでも胸に響く。


世界のすべての灯を消せ
真っ暗な夜をつくってくれ
その無力で
ただそれだけをしてくれないか

 

編集を担当した、ほぼ日の永田泰大さんが本の紹介の中で語っていた。

http://www.1101.com/books/dakishimeraretai/fromeditor.html

この本を編むにあたり、
岩田聡さんについて書かれた糸井重里のことばを
ぼくはほとんど削ることができませんでした。
それで、本の真ん中くらいのところに、
正確にいうとちょっと後ろくらいのところに、
ほとんど、まるまる、収録しました。

まったく、その通りだな。

私も、糸井さんのこの時の言葉を今もテキストとして保存している。

人と人がつながっているって、こういうことなんだなよと思う。

ロボットと暮らす日

23日放送のNHKドキュメンタリー SFリアル「#2 アトムと暮らす日」の録画を見る。

テーマは「ロボットとの生活」。
女性ロボット研究者が最先端の人型ロボットと半年間を過ごした姿を追ったもの。
ロボットは、Aldebaran Robotics社により開発されたNao。多言語による会話ができ、カメラやセンサーが組み込まれ、動作も踊りやサッカーができる程の能力を持っている。

研究者がロボットと一緒に生活しはじめ、ゲームをしようというロボットとの会話の中で2つのゲームしか知らないというロボットを前に、ゲームアプリケーションのダウンロードが必要になる。会話、動作など基本的にはアプリケーションの追加によってどんどん成長させることができるというしくみ。

数ヶ月暮らした後、ロボットのメモリーがクリアされるという事故が発生し、それにより女性研究者は少なからぬ喪失感を味わう。しかし、そこはロボットと割り切り、また一から協同生活を始めるのだった。女性には婚約者がおり、当初はロボットにあまり興味をしまさなかった彼も時間が経つに連れて、ロボットの座っている下を掃除してやったりと何かと面倒をみるようになっていく。
欧米での人型ロボットに対するイメージはデモーニッシュなイメージがある。
フランケンシュタインもそうであるし、アシモフ原作の映画「i,robot」などもそれを象徴している。一方、先のAldebaran Robotics社のロボット開発のイメージの中にはアニメーション「鉄腕アトム」のイメージが入っているようで、人に対してフレンドリーな存在としてのロボットがある。ロボットに対するイメージも変わりつつあるのかもしれない。
そうした流れを見据えたように、最新の人型のロボットは、表情、動作などより人間に近い機能を持つように進化しているという。

私が、感心したのは最新のロボット技術の進化による、より人間の表情や仕草に近いロボットではなく、機能が足りなくても、それを補い、こちらから近づき親近感を覚え、コミュニケーションをとろうとする人間の能力だ。何がそうさせるのか。
人は、薄汚れた”ぬいぐるみ”とでもコミュニケーションすることができるのだ。

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1999年11月 (株)メディアファクトリー発行

志村ふくみ展 ― 裂を継ぐ

 

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帰省時の451booksで買った一冊。

佐谷画廊で開催された志村ふくみさんの創作を紹介した展覧会の図録。

今まで染め織ってきたものの端布を使い新たに創った作品の数々を見ながら、材料と創作ということに想いをはせた。

志村さんは染織家なので、反物を織った時点で既に作品ということがいえるのかもしれない。しかし、もう少し踏み込んで言えば、着物に仕立てあがって初めて作品が完成するということなのかも知れず、それであれば、反物はまだ材料にすぎないとも言える。

用のための材料がそこを離れた時に、もっと純粋な創作は生まれてくるのかもしれない。

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花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部

【花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部】

現在読んでいるのが、これ。

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NHK朝の連続ドラマの主人公として、暮しの手帖社の大橋鎭子さんが取り上げられ、花森安治、大橋鎭子を採り上げた本、雑誌が多数出版された。

出版されたといっても、多くは既に刊行されていたものの復刊、文庫化が多いのだが、これは24年間暮しの手帖社に勤めた著者の新刊で、当事者ならではの貴重な記録となっている。

目次を全て拾っていては大変なので、章立てのみ。

第一章 銀座の暮しの手帖編集部

第二章 暮しの手帖研究室と日用品のテストの誕生

第三章 なかのひとりはわれにして

第四章 日用品のテストから本格的テストへ

第五章 暮しの手帖研究室の暮し

第六章 いろいろな記事の作り方

第七章 編集部の泣き笑いの日々

第八章 「戦争中の暮しの記録」

第九章 1世紀100号から2世紀1号へ

服飾の読本

【服飾の読本】

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NHK朝のドラマ「とと姉ちゃん」のモデルである大橋鎮子が出版した本。
発行は、衣装研究所

花森安治の処女作。
暮らしの手帖に連載していたものをまとめたものだ。

装幀が素晴らしい。タイトル文字、名前の位置も良く考えてある。
発行が、昭和25年。私の手にあるのは、8月1日の第4刷。初版が7月25日。

内容は、服飾についての具体的なアドバイスやおしゃれのポイントなどが中心だが、戦後の貧しい時代にあってもおしゃれを楽しむ余裕や美しいものを感じる感性が大切であるということを謳っており、暮らしの手帖に流れている基本そのものだ。

本文中の見出しを拾うとだいたいの本の内容が分かるかと思う。

美しい感覚が光る時代
美しいものと高価なものと
美しいものに誘惑される
飾りすぎるな
一番いいものばかりつけたがらぬこと
ほんとうの美しさ
美しく着るための勉強とは
美しいものを見分ける感覚
わざとらしさについて
おしゃれを軽蔑するおしゃれ
スカラシップ好きは感覚が低い
女学校の制服について
おしゃれ狂女にさせたのは誰か
通学服は花のように
女学校の先生の服
粋と上品と
個性とは欠点の魅力である
すきのない身だしなみ
ひとに似合えば自分に似合わぬ
自分に似合うデザイン
自分の服のデザイン

ここまでで、約30頁。全体の1/7程だ。

ざっと眼を通していて、はっとした一文。

ただ、一つのもの
現代の発達した美容術、整形術でも、なんとしても、お化粧出来ない場所が、人間には一ヵ所だけある。それは、眼の光りである。

 

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本の奥付。

花森安治らしさが出ているのが、左端の文字。

本を担当した、職人の名前が入れてある。

全てが花森安治の信念と美意識に貫かれている。

ニューヨーカー短編集

【ニューヨーカー短編集】

カミさんが引っ張りだしてきた、私が高校生時代に購入した文庫。

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昭和48年2月10日初版
昭和49年3月30日四刷

秀逸な装幀(安彦勝博)。

収録作品を拾ってみる。

せせらぎ      アルトゥーロ・ヴィヴァンテ(常盤新平訳)

夏の読書      バーナード・マラマッド(菊池 光訳)

未来の父      ソール・ベロー(永井 淳訳)

ランス       ウラジミール・ナボコフ(矢野浩三郎訳)

ノボトニーの痛み  フィリップ・ロス(小菅正夫訳)

生涯はじめての死  エリザベス・テイラー(深町真理子訳)

盛 夏        ナンシー・ヘイル(武富義夫訳)

キャッチボール  リチャード・ウィルバー(志摩 隆訳)

夏服を着た女たち  アーウィン・ショウ(深町真理子訳)

日曜日には子どもは退屈  ジーン・スタッフォード(深町真理子訳)

あすも、あさっても…… しあさっても……  ジョン・アップダイク(小倉多加志訳)

In Gre……      ホーテンス・キャリッシャー(小尾芙佐訳)

感傷教育      ハロルド・ブロドキー(青木日出夫訳)

「暮らしの手帖」とわたし

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平成22年刊。

 

今、NHKの朝のドラマ「とと姉ちゃん」のモデルとなった大橋鎮子さんの著作。

刊行当時、お元気だった大橋さんもご存命であった。

今回、ドラマが放映されるということで再読する。

思いと工夫、仕事とはこうありたいものだと思う。

断片的なものの社会学

【断片的なものの社会学】

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紀伊国屋じんぶん大賞2016を受賞した作品。

カテゴリー的にはエッセイに入るのだろが、奇妙な味わいに捉えられてしまい、離してくれない。

記憶の底に何かの断片のように貼りついて離れない無意味な映像や言葉。

若い頃の時分では決して読まなかっただろうし、理解もし難かったであろうが、時間がこの本の内容を理解させてしまった。長い時間をかけて、ぐるりとひと巡りし、再開した時のような得心と諦念がある。

昭和二十年五月二十九日

【昭和二十年五月二十九日】

講談社現代新書

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先日から探していた、工作舎が協力して作成していた講談社現代新書のカバーをまた見つけた。

カバー裏は、こんな感じ。空襲の実態を航空写真上にプロット。

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目録を探してみるとこんな感じ。新西洋史のシリーズは工作舎が手掛けていたのが判っていたので、また先日の「シベリア開発」は現物で確認しているので、少なくとも以下のブロックはカバー裏がデザインされている可能性がある。

311 『文明のあけぼの :新書西洋史1 』 富村傳
312 『地中海世界 :新書西洋史2』 弓削達
313 『封建制社会 :新書西洋史3』 兼岩正夫
314 『ルネサンス :新書西洋史4』 会田雄次
315 『絶対王政の時代 :新書西洋史5』 前川貞次郎
316 『市民革命の時代 :新書西洋史6』 豊田尭
317 『帝国主義の展開 :新書西洋史7』 中山治一
318 『二十世紀の世界 :新書西洋史8』 今津晃
319 『大異変=地球の謎をさぐる 』 A. レザーノフ ; 中山一郎訳
320 『日本人の行動様式 : 他律と集団の論理 』 荒木博之
321 『昭和二十年五月二十九日 : 横浜大空襲の記録 』 東野伝吉
322 『中国人の知恵 : 乱世に生きる 』 諸橋轍次
323 『シベリア開発 』 山本敏

時代を映す鏡

神保町にて。

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下は段ボールのケース。装幀は堀内誠一 非売品。

 

1985年に発行されたマガジンハウス社の社史。

今でこそマガジンハウスだが、私の知った時代は、平凡出版と称していた。

雑誌は時代を映す鏡でもあるし、ある種の自分史でもあるように思われる。

大学に入る頃に、「ポパイ」が創刊された。親元を離れる自由さの中、新しいものをもとめていた自分の気持ちにぴたりと沿う雑誌に魅了された、世界はこんなにも広いと(考えてみれば、それはアメリカということだったに過ぎないのだが……)。
その後、兄貴分の雑誌として「BRUTUS」が創刊され、そちらに移行した。

“大人”になるということを非常に意識していた時代だった。

今の時代は、“大人になる”ということを意識させない時代ではないかと感じるのは、既に感覚が鈍った“じじい”だからなのか。