columns

志村ふくみ展 ― 裂を継ぐ

 

1963_001

帰省時の451booksで買った一冊。

佐谷画廊で開催された志村ふくみさんの創作を紹介した展覧会の図録。

今まで染め織ってきたものの端布を使い新たに創った作品の数々を見ながら、材料と創作ということに想いをはせた。

志村さんは染織家なので、反物を織った時点で既に作品ということがいえるのかもしれない。しかし、もう少し踏み込んで言えば、着物に仕立てあがって初めて作品が完成するということなのかも知れず、それであれば、反物はまだ材料にすぎないとも言える。

用のための材料がそこを離れた時に、もっと純粋な創作は生まれてくるのかもしれない。

Dsc_7376

花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部

【花森さん、しずこさん、そして暮しの手帖編集部】

現在読んでいるのが、これ。

1410_001

NHK朝の連続ドラマの主人公として、暮しの手帖社の大橋鎭子さんが取り上げられ、花森安治、大橋鎭子を採り上げた本、雑誌が多数出版された。

出版されたといっても、多くは既に刊行されていたものの復刊、文庫化が多いのだが、これは24年間暮しの手帖社に勤めた著者の新刊で、当事者ならではの貴重な記録となっている。

目次を全て拾っていては大変なので、章立てのみ。

第一章 銀座の暮しの手帖編集部

第二章 暮しの手帖研究室と日用品のテストの誕生

第三章 なかのひとりはわれにして

第四章 日用品のテストから本格的テストへ

第五章 暮しの手帖研究室の暮し

第六章 いろいろな記事の作り方

第七章 編集部の泣き笑いの日々

第八章 「戦争中の暮しの記録」

第九章 1世紀100号から2世紀1号へ

服飾の読本

【服飾の読本】

Img

NHK朝のドラマ「とと姉ちゃん」のモデルである大橋鎮子が出版した本。
発行は、衣装研究所

花森安治の処女作。
暮らしの手帖に連載していたものをまとめたものだ。

装幀が素晴らしい。タイトル文字、名前の位置も良く考えてある。
発行が、昭和25年。私の手にあるのは、8月1日の第4刷。初版が7月25日。

内容は、服飾についての具体的なアドバイスやおしゃれのポイントなどが中心だが、戦後の貧しい時代にあってもおしゃれを楽しむ余裕や美しいものを感じる感性が大切であるということを謳っており、暮らしの手帖に流れている基本そのものだ。

本文中の見出しを拾うとだいたいの本の内容が分かるかと思う。

美しい感覚が光る時代
美しいものと高価なものと
美しいものに誘惑される
飾りすぎるな
一番いいものばかりつけたがらぬこと
ほんとうの美しさ
美しく着るための勉強とは
美しいものを見分ける感覚
わざとらしさについて
おしゃれを軽蔑するおしゃれ
スカラシップ好きは感覚が低い
女学校の制服について
おしゃれ狂女にさせたのは誰か
通学服は花のように
女学校の先生の服
粋と上品と
個性とは欠点の魅力である
すきのない身だしなみ
ひとに似合えば自分に似合わぬ
自分に似合うデザイン
自分の服のデザイン

ここまでで、約30頁。全体の1/7程だ。

ざっと眼を通していて、はっとした一文。

ただ、一つのもの
現代の発達した美容術、整形術でも、なんとしても、お化粧出来ない場所が、人間には一ヵ所だけある。それは、眼の光りである。

 

Img_0001

本の奥付。

花森安治らしさが出ているのが、左端の文字。

本を担当した、職人の名前が入れてある。

全てが花森安治の信念と美意識に貫かれている。

ニューヨーカー短編集

【ニューヨーカー短編集】

カミさんが引っ張りだしてきた、私が高校生時代に購入した文庫。

Img

Img_0001

昭和48年2月10日初版
昭和49年3月30日四刷

秀逸な装幀(安彦勝博)。

収録作品を拾ってみる。

せせらぎ      アルトゥーロ・ヴィヴァンテ(常盤新平訳)

夏の読書      バーナード・マラマッド(菊池 光訳)

未来の父      ソール・ベロー(永井 淳訳)

ランス       ウラジミール・ナボコフ(矢野浩三郎訳)

ノボトニーの痛み  フィリップ・ロス(小菅正夫訳)

生涯はじめての死  エリザベス・テイラー(深町真理子訳)

盛 夏        ナンシー・ヘイル(武富義夫訳)

キャッチボール  リチャード・ウィルバー(志摩 隆訳)

夏服を着た女たち  アーウィン・ショウ(深町真理子訳)

日曜日には子どもは退屈  ジーン・スタッフォード(深町真理子訳)

あすも、あさっても…… しあさっても……  ジョン・アップダイク(小倉多加志訳)

In Gre……      ホーテンス・キャリッシャー(小尾芙佐訳)

感傷教育      ハロルド・ブロドキー(青木日出夫訳)

「暮らしの手帖」とわたし

Img

平成22年刊。

 

今、NHKの朝のドラマ「とと姉ちゃん」のモデルとなった大橋鎮子さんの著作。

刊行当時、お元気だった大橋さんもご存命であった。

今回、ドラマが放映されるということで再読する。

思いと工夫、仕事とはこうありたいものだと思う。

断片的なものの社会学

【断片的なものの社会学】

0030_001

紀伊国屋じんぶん大賞2016を受賞した作品。

カテゴリー的にはエッセイに入るのだろが、奇妙な味わいに捉えられてしまい、離してくれない。

記憶の底に何かの断片のように貼りついて離れない無意味な映像や言葉。

若い頃の時分では決して読まなかっただろうし、理解もし難かったであろうが、時間がこの本の内容を理解させてしまった。長い時間をかけて、ぐるりとひと巡りし、再開した時のような得心と諦念がある。

昭和二十年五月二十九日

【昭和二十年五月二十九日】

講談社現代新書

201503171916500001

先日から探していた、工作舎が協力して作成していた講談社現代新書のカバーをまた見つけた。

カバー裏は、こんな感じ。空襲の実態を航空写真上にプロット。

201503171914110001_01

201503171914110001

201503171914110001_02

目録を探してみるとこんな感じ。新西洋史のシリーズは工作舎が手掛けていたのが判っていたので、また先日の「シベリア開発」は現物で確認しているので、少なくとも以下のブロックはカバー裏がデザインされている可能性がある。

311 『文明のあけぼの :新書西洋史1 』 富村傳
312 『地中海世界 :新書西洋史2』 弓削達
313 『封建制社会 :新書西洋史3』 兼岩正夫
314 『ルネサンス :新書西洋史4』 会田雄次
315 『絶対王政の時代 :新書西洋史5』 前川貞次郎
316 『市民革命の時代 :新書西洋史6』 豊田尭
317 『帝国主義の展開 :新書西洋史7』 中山治一
318 『二十世紀の世界 :新書西洋史8』 今津晃
319 『大異変=地球の謎をさぐる 』 A. レザーノフ ; 中山一郎訳
320 『日本人の行動様式 : 他律と集団の論理 』 荒木博之
321 『昭和二十年五月二十九日 : 横浜大空襲の記録 』 東野伝吉
322 『中国人の知恵 : 乱世に生きる 』 諸橋轍次
323 『シベリア開発 』 山本敏

時代を映す鏡

神保町にて。

Img_20150530_0001

Img_20150530_0002

下は段ボールのケース。装幀は堀内誠一 非売品。

 

1985年に発行されたマガジンハウス社の社史。

今でこそマガジンハウスだが、私の知った時代は、平凡出版と称していた。

雑誌は時代を映す鏡でもあるし、ある種の自分史でもあるように思われる。

大学に入る頃に、「ポパイ」が創刊された。親元を離れる自由さの中、新しいものをもとめていた自分の気持ちにぴたりと沿う雑誌に魅了された、世界はこんなにも広いと(考えてみれば、それはアメリカということだったに過ぎないのだが……)。
その後、兄貴分の雑誌として「BRUTUS」が創刊され、そちらに移行した。

“大人”になるということを非常に意識していた時代だった。

今の時代は、“大人になる”ということを意識させない時代ではないかと感じるのは、既に感覚が鈍った“じじい”だからなのか。

井筒俊彦・井筒豊子

【叡智の詩学】

Img0009

批評家の小林秀雄と哲学者の井筒俊彦の相通ずるところを論じたもの。

同じものを観、同じことを語っていた。

井筒俊彦が若い時、アラビア語やイスラームを学んだ師にムーサーがいた。

このムーサーという大学者(ウラマー)がとてつもない人物だったようだ。

 

p.53

「神学、哲学、法学、詩学、韻律学、文法学はもちろん、ほとんどのテクストは、全部頭に暗記してある。だいたい千ページ以上の本が、全部頭に入ってしまっている」(20世紀末の闇と光)

ウラマーとは大学者のことで、学者は文献に頼らずとも、どこでも学問が出来なくてはならないとムーサーはいった。書物がなければ学問が出来ない。それではカタツムリではないかといって笑ったという。

 

4618_001

井筒俊彦の妻が井筒豊子。

中央公論社から小説集が一冊出ている。

その中の一編に、バフルンヌーン物語があるが、井筒と思しき主人公の青木とムーサーとのやりとりが書かれており興味がつきない。

その他の作品も読ませる「白磁盒子」、古本屋でもなかなか見かけない本。

翻訳文化

【翻訳文化】

今朝の朝日新聞、折々の言葉は、小林秀雄だった。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

現に食べている食物をなぜひたすらまずいと考えるのか。まずいと思えば消化不良になるだろう。

(小林秀雄)

翻訳文化と指さされようが、底の浅い文化と揶揄(やゆ)されようが、判断は今ここにあるこの文化のなかで芽生えさせるほかない。たとえそれが朽ちかかっていても。歴史の地べたではなく高みに立って、時代をさげすむだけ、自らもそれにまみれてきたことを掘り下げない批評がいかに空しいかと批評家は言う。「ゴッホの手紙」から。(鷲田清一)

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

Img

小林秀雄がゴッホの手紙を書くきっかけになったのは、昭和22年の泰西名画展覧会を見に行ったおり、喧噪と埃を避けて見ていた複製画のゴッホに出会ったことであった。

先の言葉の前の文章は、次のように書かれている。

悪条件とは何か。
文学は翻訳で読み、音楽はレコードで聞き、絵は複製で見る。誰もかれもが、そうしてきたのだ、少なくとも、およそ近代芸術に関する僕らの最初の開眼は、そういう経験に頼ってなされたのである。翻訳文化という軽蔑的な言葉がしばしば人の口にのぼる。もっともな言い分であるが、もっとももすぎれば嘘になる。近代の日本文化が翻訳文化であるということと、僕らの喜びも悲しみもその中にしかありえなかったし、現在もまだないということとは違うのである。どのような事態であれ、文化の現実の事態というものは、僕らにとって問題であり課題であるより先に、僕らが生きるために、あれこれののっぴきならぬ形で与えられた食糧である。誰も、ある一種名状しがたいものを糧として生きてきたのであって、翻訳文化というような一観念を食って生きてきたわけではない。あたりまえなことだが、この方はあたりまえすぎて嘘になるようなことはけっしてないのである。このあたりまえなことをあたりまえに考えれば考えるほど、翻訳文化などという脆弱な言葉は、凡庸な文明批評家の脆弱な精神のかかに、うまく納まっていればそれでよいとさえ思われてくる。愛情のない批判者ほど間違う者はない。

カレンダーに印刷された絵を画鋲でとめてあったり、絵葉書を額に入れてあったりすること、そのことをそれでもいいではないか、それでも絵を愛すること、目を楽しませることができるのであれば。小林秀雄のこの文章を読んで以来、胸に刻みつけてきた。

 

しかし、

「モナ・リザ」の前で、あるアメリカの婦人が「複製とそっくりだわ」とさも満足気に叫んでいるのを私はみたことがある。
「模倣と創造」池田満寿夫

とならなければの話だ。