鳴く虫と郷町というイベントはとにかく包容力のあるイベント。


古書みつづみ書房は伊丹のまちなかの『高低差』をさがす町歩きイベントを開催しました。もちろんこの時期、大人数ではできないのでほんの小規模開催です。
#鳴く虫と高低差

伊丹郷町の北~東端は萌え坂、萌え階段だらけ。たまりません。
この後は、惣構の伊丹郷町を大坂道~杜若寺まで歩きました。詳細はこちらから。https://www.facebook.com/events/2686291815022351/
鳴く虫と郷町というイベントはとにかく包容力のあるイベント。
古書みつづみ書房は伊丹のまちなかの『高低差』をさがす町歩きイベントを開催しました。もちろんこの時期、大人数ではできないのでほんの小規模開催です。
#鳴く虫と高低差
伊丹郷町の北~東端は萌え坂、萌え階段だらけ。たまりません。
この後は、惣構の伊丹郷町を大坂道~杜若寺まで歩きました。詳細はこちらから。https://www.facebook.com/events/2686291815022351/
2020年の『鳴く虫と一箱古本市』は、新型コロナウィルス感染拡大防止の観点より、最小限の参加者で密にならないようなレイアウトで開催します。会場は、宮前商店街のデリカロクシナ前、およびギャラリーきとう前の2か所です。
日時:2020年9月20日(日) 11時~18時
場所:宮前商店街 デリカロクシナ前 および ギャラリーきとう前
「鳴く虫と郷町」とは、江戸時代に庶民の間で親しまれた虫の音を楽しむ「虫聴き」を現代風にアレンジしたイベントです。市内の文化施設や商店街、街路樹などで約15種3,000匹の虫の音色を楽しみます。会期中には、市内の様々な場所で音楽、飲食、文化といった関連イベントが開催されます。
一箱古本市は、1人1箱・みかん箱程度の大きさの箱に、古本を入れて持ち寄り販売するイベントで、2005年に東京の『不忍ブックストリート』ではじまり、今では全国的に広まっています。あなたが読み終えた本、誰かにおススメしたい本などに値段をつけて、当日、イベントに訪れたかたに販売します。本をきっかけにした、お客様との会話も楽しいイベントです。
今春より拡大している新型コロナウイルス感染防止に関しまして、マスク着用、手指消毒剤設置等の対策を講じます。一箱古本市は、お客様との会話も楽しみではありますが、社会的距離をたもちつつ、マスク必須、都度の手洗い励行をお願いいたします。
【実施要領】
・9月20日(日) 11:00~18:00 ※募集予定数 10名程度
・出店費 1日 500円
・出店場所:デリカロクシナ前広場、ギャラリーきとう軒先とガレージ
・販売可能な物=書籍、雑誌、個人作成の小冊子および本関連の雑貨(ブックカバー、しおりなど)、紙もの(ポストカード、レターセット) ※CD、DVDなどの販売はご遠慮ください。公序良俗に反する物品の販売はできません。
【応募条件】
・一箱古本市の実施ルールを守ってくださる方
・一箱に入れた本の販売ができる方で、開催時間内を通して出店できる方
・宮ノ前商店街のお店の軒先をお借するにあたり、お店の営業の邪魔になることなく諸事配慮いただける方
・高校生以下で保護者の許可を得ている方(中学生以下は保護者同伴で出店願います)
・新型コロナウイルス感染防止策を講じていただける方(マスク着用必須。手指消毒アルコールは事務局で準備します)
鳴く虫一箱古本市 2020参加申込みフォームより、必要事項をお送りください。(お名前、ご住所、連絡先、お店の屋号、お持ちいただく本の種類、出店経験の有無、お店のPR など)
締め切り:9月4日(日) ※申込み多数の場合、抽選となります。抽選発表9月6日(日)
【お問い合わせ先】
古書みつづみ書房 伊丹市宮ノ前3-1-3 浅岡ビル1F 090-8197-9930 info@mitsuzumi-shobo.com
暑い暑いと言っているうちに、8月も終わろうとしている。
春からこちら、どう動いてよいやら模索しつつ、この8月はたいした告知もせぬままにイベントに参加したり、企画したり。
イズミヤ昆陽店にて『第1回 昆陽古本まつり』を開催。
8月23日はいたみ朝マルシェ
例年より暑さが厳しくて、2度ほど熱中症一歩手前までいきました。この暑さ、あなどっていてはいけませんね。
このたび、オリジナル風呂敷を作りました。予想以上に好評です。
古書みつづみ書房のオンラインショップからもお求めいただけます。
緊急事態宣言が解除され2週間。すぐ目の前の小学校も通常授業に戻ったようで、朝から児童が元気に登校している。
この3か月間、生活のリズムが激変してしまい、混乱してしまった人もいるだろう。恐るおそる戸外に出てみると季節はすでに夏。あの猛暑が今年もやってくるかと考えただけでゲンナリしてしまううえに、外出にはマスク必須とは。どうかんがえても無理。この夏もこのままなるべく外に出る用事をつくらないように、秋まで過ごすしかない。
店にこもって進めているのは「みんなのひとはこZINE」の編集作業
2020年の春。世界的な緊急事態の下、外出もままならない状況の私たちが「こんな時にこそ何かできないか?」と小さな抵抗的に開催した、ウェブで楽しむ一箱古本市。
どんなきっかけで始まったのか?
箱主たちはどんな思いで準備し出品していたのか。
お客様はどんなふうに感じてくれたのか。
思いや記憶が熱いうちに、事の顛末をまとめておきたいなと考えました。7月1日刊行です。たくさんの方に読んで頂けたらなと思います。
お問い合わせは info@mitsuzumi-shobo.comまで。
昨年読んでいた梨木香歩の「渡りの足跡」の中に出てくるデルスー・ウザーラ(本の中ではウザラー)に触発され、読みたいと思っていたウラジーミル・アレセーニエフの「デルスー・ウザーラ」を手にとった。
東洋文庫で読みたいと思っていたが、どうも1902年の探検の部分が入っていないようだったので、河出文庫版を求めた。
「デルスー・ウザーラ」は、1900年初頭、北海道、サハリンのロシア側対岸のシホテアリニ山脈を探検したアレセーニエフの探検紀行の記録。
探検の記録ではあるが、物語の主役はガイド役を努めた現地の漁師デルスー・ウザーラ。
自然を観察、人や動物の動きや心理を見つめる漁師としての姿が描かれている。また、自然や動物に対する世界観はアニミズムといっていいほど素朴だが、常に行動と一致しており、それらは等しく人間にも注がれ、粗末に扱うことなく丁寧さにに溢れている。
アレセーニエフが発見するデルスー・ウザーラの行動や言葉は、現代人が忘れてしまっている人の本然的なものを思い出させる。
……
目をさまして私は、デルスーが薪を割り、シラカンバの皮をあつめて、これらをみな小屋の中へ運びいれるのを見た。彼が小屋を燃やそうとしているのだと思い、私はそれをやめさせようとした。ところが、彼はそれに答えないで、一つまみの塩と、少量の米をくれと言った。彼がそれで何をするつもりか興味があったので、私は彼にその欲しいものをやるように命じた。ゴリド人はシラカンバの皮で丁寧にマッチをくるみ、塩と米を別々にシラカンバの皮につつんで、これらを小屋の中につるした。ついで彼は外部から屋根の樹皮を修理し、それから出立の身支度にかかった。
「きみはここへかえってくるつもりなんだね?」私はゴリド人にきいた。
彼は否定的に頭をふった。そこで誰のために米、塩、マッチをおいておいたのかと、私は彼にきいた。
「誰か、誰か、別の人、くる」デルスーが答えた。「小屋みつける、かわいたマキみつける、マッチみつける、くいものみつける――死なない」
私はおぼえている、これがひどく私をびっくりさせたことを。私は考えこんでしまった………ゴリド人は自分の一度も見たことのない人間、まったく未知の人間について心配していたのである。その人間はまた誰が彼のために薪や食料を用意してくれたかを知らないのである。私は兵士らが野営地を去る時、いつも屋根の樹皮を焚火でもやしてしまったことを思いだした。彼らはそれを乱暴をはたらく気持ちからではなく、単純に、おもしろ半分にやったので、私もそれを禁止したことはなかったが、これにくらべると、この野生の男ははるかに人間への愛に富んでいた。旅人へのこの配慮! ……どうしてこの気持ちのいい感情、他人の利害にたいするこの配慮が、町に住む人々には荒れすさんでしまったのか。だが、これは都会人にも以前はあったものである。
黒澤明がソビエトから依頼されて映画化されたものがあるが、まだ見ることができていない。
映画を見る前に本を読むことが出来てよかった。
デルスー・ウザーラの画像がないかと検索してみると、幾つか見つかった。
アレセーニエフと一緒に
探検家でありながら学者でもあったアレセーニエフの自然描写にも惹かれる。
もう少し、この時期の探検史を調べて見るつもり。
ウェブで楽しむ一箱古本市 みんなのひとはこminnano hitohako
2020年4月18日10時にオープンし、先ほど5月6日0時にクローズとなりました。
長い19日間でした。
当初は、これがどんなふうになるのか誰にも予想がつかず、箱主メンバーは皆、とりあえず出せるものを並べてみて、初日を迎えました。
10時のオープン。品物はどんどん売れていきます。画面を更新するたびに増える『SOLD OUT』の文字。そのスピードについて行けず、全員が驚きの悲鳴をあげながら(本当に)、あたふたと発送作業をしました。
幾日か経ち、毎日の選書→撮影→アップロードのサイクルが落ち着いてきたころ、北海道や神奈川、愛知県と遠方のお客様からも購入が増え始めます。新聞・ラジオなどのメディアの影響です。そして、これまでにも増してあたたかい応援メッセージが増えてきました。
素敵な取り組みですね。こんなときですが、こんなときだからこそ本と、自分と、向き合ってみたいと思います(^^)微力ですが、応援しています。(神奈川 横浜市)
私も日々なんとか過ごしていますが時々心が折れそうになることもあります。良書で心を筋トレします!(広島 廿日市市)
「みんなのひとはこ」を催してくださって、本当にありがとうございます。店頭で、本を手に手に選ぶたのしさに触れられずに居ましたが、形は違えど少し味わうことができました。いつか、店頭でお目にかかれますよう。どうぞご自愛くださいませ。(兵庫 姫路市)
子供とのおうちじかんに楽しませていただきます。素敵な企画をありがとうございます。(兵庫 西宮市)
新聞にて貴企画を知りました。すていほーむ活に本は必須アイテムですね。大変な時期に素晴らしい企画を有難うございます。(北海道富良野市)
これだ!と思いました。日経でみました。届くの楽しみにしています!(大阪 大阪市)
新しい本が入るたびに、どれも気になっていたのですが、どうしてもこの本達が読みたくなりました!コロナが落ち着いたら、旅に出たいものですね。 (大阪 豊中市)
「みんなのひとはこ」楽しんでおります。又々良い本見つけちゃいましたー。よろしくお願いしまーす。(兵庫 芦屋市)
みんなのひとはこ、、、。毎日HPを拝見してますが昨年の一箱古本市の懐かしい写真を見たら、なんだかじーんとしました。(兵庫 伊丹市)
いただくメッセージを読めば読むほど、私たちの思いつきは、何か、とんでもなく可能性をひめた活動なんじゃないだろうか?という思いが強くなっていきました。私たち一人ができることは本当に微力で、発信力も持たないけれど、思いをつなげて仕組みを駆使して、工夫を凝らせば、たくさんの人に思いが届けられるんだと。
沢山の人に本を届けたい。本を自分で『選ぶ』という行為の楽しさを忘れないで欲しい。
昨日、5月末まではまだ、思うように外出できずイベントの開催も控えなければならないことが決まりました。
けれど、地域によっては公共機関や学校、お店も順次 再開されるようです。すぐにはリアルな一箱古本市を開催することは難しいかもしれないけれど、わたしたち「みんなのひとはこ」の箱主たちは、実際に本の背を眺めて歩いてほしい。手に取ってページをめくってほしい。お子さんと。奥さんと、旦那さんと。お友達と。彼氏と、彼女と。一緒に・・・。と願っています。
次回は、ぜひ実際の「一箱古本市」でお会いしましょう!!
2020.5.6 みんなのひとはこ箱主一同
例年、ゴールデンウィーク前後のこの時期は『古本』の季節で、全国各地で「古書市」「一箱古本市」が開催される。
本家本元の『不忍ブックストリート』の「一箱古本市」もゴールデンウィーク中の1日間開催を予定されてたし、4月25日にはBOOK FESTA in KANSAI2020のもりの一箱古本市、5月3・4・5日には中之島まつりの古本市も予定されていた。
本好き仲間の2回目のビデオチャット・ミーティングで「やってみようか?」とのノリで準備がはじまった『みんなのひとはこ』。
みんながそれぞれの場所から参加して「一箱古本市」に来ている気分を味わってもらえたらいいなという動機でスタートしているので、商売っ気なしの明朗価格設定。しかも、説明文が楽しい。古書の通販サイトには見られないエピソードとか、レビュー付きの商品説明になってきた。
小さな試みです。うまくいくのかどうかわからないし、トラブルが起きてしまうかもしれない。もっとうまい仕組みもあると思う。
でも『これ、いいじゃん』と思っていただける方には、わたしたちのケースをどんどんお伝えしたい。各地でWeb上の本のイベントがどんどん発生すればいいと思っている。
もうすぐ10時。開店時間です。さてさてどうなることやら。緊張してきました。
2020年1月 神奈川県で日本初の感染者がでた(中国からの帰国者)という報道があった2日後、伊丹の朝は寒かったけど、自分たちに関係があるニュースには思えなくて、イタミ朝マルシェはほんわか温かく、楽しかった。
1月末。奈良県のバスの運転手さんの罹患のニュースが流れて、気の毒だなと思うのと、誰がかかってもおかしくない日がくるのかなとぼんやり考えていた頃。風文庫さんでのお茶会も素敵だった。
2月に入って、予定していたイベントが中止になりはじめ、3月2週目には図書館や公共機関が休館となり、多くの人が不要不急な外出をしなくなった。主人の会社のリモートワークも始まった。
そう。2ヶ月足らずで世界は変わってしまった。
楽しかった日常が奪われて、こんな異常な状態が普通になりかけている。戦争や内戦だってそうだ。異常な状態は、何食わぬ顔でひっそりとわたしたちに近づいてきて、いつのまにか異常状態に突入させてしまう。
日常を忘れるな。疑念を持て。日常を守れ。
きちんと対策をして、少し我慢して、いろいろ工夫しながら「日常」を守らなければ「異常」に呑みこまれてしまう。普通に仕事して、買い物をして、本を読んで、ご飯食べて。花を見て、風を感じて、zoomで友達とダベって、you tubeでお気に入りのミュージシャンのライブを楽しんで、好きなお店の味をケータリングして。
日常を守るために、古書みつづみ書房は通常営業を続けます。ちっぽけな抵抗ですが、ここが息抜きの場所になればいいなと思っています。
それぞれがそれぞれの場所で、ちょっとがまんしながら、踊ったり、歌ったり、重なり合う工夫をお手伝いできるといいな。
OPEN
平日(火~金) 13:00~20:00
土曜日 11:00~20:00
日曜日 11:00~17:00
Close
月曜日、祝日
14日に坪内祐三が亡くなったのをニュースで知った。
ショックだった。
その夜、坪内さんの文章を読もうと、本箱を見ると、「人声天語」が見当たり、手にとった。
通読したその本に一箇所だけ付箋がつけてあった。
文藝春秋2005年6月号
「記録と記憶と準記憶―歴史を知る」
ひどく、印象的で考えさせられる文章だった。
真に歴史を知ること、つまり、歴史を記憶すること、とは、どういうことだろう。
よくプロ野球選手などが、記録ではなく記憶に残る選手になりたいと言い、その場合の記録とは単なる数字を、そして記憶とは強い印象を意味しているが、記憶と記録はどれぐらい重なり合うものなのだろうか(もちろんここで私か問題にしている記録とは単なる数値の意味ではない)。
言い替えれば、ある一つの記録から、いかに正確な記憶が再現出来るのだろうか。
さらに言えば、記録と記憶の間にはもう一つ準記憶とも呼ぶべき歴史把握がある。
例えば、昭和三十三(1958)年生まれの私は、明治時代のことは記録でしか知らないけれど、太平洋戦争のことは記憶が、いや準記憶がある。
私の父は元海軍の軍人であったし、私の小学校や中学校の教師には軍隊帰りの人間がいくらでもいた。東京の公立校であっても、母親や父親が被爆者であるクラスメイトが何人かいた。繁華街に出れば本物の傷痍軍人をよく見かけた。
私の世代であれば当り前のことだろう。
そういった大人たちから、戦争の様ざまな話を耳にし、その体験を共有した。
様ざま、と書いたのは、それらの体験が必ずしも同じものではなかったからだ。
その時暮らしていたり従軍していた場所や時の差によって様ざまな違いがあった。
しかし、そういう差異を超えて、私の中で、太平洋戦争に対する一つのイメージが記憶されていった。
その記憶によって、私は、太平洋戦争の記録の真実を読みとろうとする。
真の歴史とはそのように語り(読み)継がれて行くものではないだろうか。
一方に記録かある。
もう一方に記憶を待った当事者がいる。
そしてその記憶を耳にした準記憶者がいる。その準記憶者が記録の中の真を読み解き(少なくともそれを読み解こうという努力をし)、それをまた記憶あるいは記録して行く。
この繰り返しによって、「歴史」は、真の歴史に近づいて行くのではないだろうか。
記憶だけでは歴史は切断するし、記録だけなら、歴史は、時に誤用される。
ポイントとなるのは準記憶者という媒介者の存在である。
病院に行く途中で、文藝春秋(2019年6月号)を読んでいた。
図書館の検索システムで何度チェックしても常に貸出中だったものが、前日にでかけた図書館ではたまたま返却されたタイミングだったので運よく借りることができたのだ。
読みたかったのは村上春樹が父親のことを初めて綴った文章が掲載されていたから。
父親と猫を捨てに言った話に始まり、確執のあった父親の生涯を辿っている。
村上春樹のお父さんはお寺の次男として生を受けた。その後、学業半ばで一兵卒として戦地に赴いたのだが、その中国で捕虜の処刑の場に立ち会うことがあったようだ。
また、仲間をこの戦争で失くしたこともあり、その人たちのために毎朝長い時間をかけてお経を唱えることを欠かさなかったという。
そうした父親の姿を見続けてきた村上春樹もまた準記憶者に違いないと思った。
同じ文藝春秋の後ろに坪内祐三の人声天語が掲載されている。
「平成の終わりに思うこと」というタイトルの文章は次のように始まる。
この原稿を書いている今日は平成三十一年四月十八日。
つまりあと二週間ほどで平成が終わる。
私は昭和が終わっていった時のことを思い出している。
続いて、昭和という時代を思い、亡くなっていた手塚治虫、大岡昇平の名前を挙げていく。
また、時代が変わるに合わせるように亡くなっていた者の名前も
橋本治、岡留安則、内田裕也、萩原健一、モンキー・パンチ……
そこから平均寿命の話に変わっていく。
元号とは別に平均寿命のことを時に考える。
私の父は大正九(一九二〇)年生まれで、大正九年十年生まれは太平洋戦争でもっとも多く戦死者を出した世代だ。
しかし生きて帰った人たちは長生きで、私の父は九十過ぎまで生きたし、同世代の作家安岡章太郎や阿川弘之、庄野潤三も長生きした。彼ら“第三の新人”の人々は長寿が多かった(中で例外は吉行淳之介と遠藤周作だが二人とも若い時に肺を患っている)。
そのペースで長寿化が進むかと思っていたのだが、ある変化が起きた。
次の世代、昭和一ケタ生まれには「八十の壁」があったのだ。
私の知る人、山口昌男さんも常盤新平さんも野坂昭如さんもそれぐらいの年齢で倒れていったのだ。
続く昭和二ケタ生まれは「七十五の壁」があった。赤瀬川原平さん、安西水丸さん。
だから団塊の世代は「七十の壁」があつて、橋本治と岡留安則はその壁に倒れたのだ。萩原健一はその下の高校全共闘世代に近く、つまり「六十五の壁」だったのだ。
すると私たちシラケ世代は「六十の壁」で、今年の五月八日に六十一歳になる私は恐怖だ。
こんなことを書いていたんだと、何とも言えない気持ちになった。
こんなこと書いちゃ駄目だよ……
坪内祐三は同い年だった。
2月8日(土)柿衞文庫で開催されたシンポジウム 『岡田柿衞をめぐる文化圏』 のパネルディスカッションに登壇。基調講演のタイトルは『俳句と西洋』。映画・比較文学研究者の四方田犬彦先生によるお話しだった。かなり貴重な経験をさせていただいた。
なぜ、わたしが登壇したかというと、昨年春に開催された小企画展『柿衞さんの中学生時代』で展示された資料の多くが、当初、古書みつづみ書房に持ち込まれたものだったから。うちのお客様で蒐集家の方が持ってこられたスケッチ帖を見せてもらった瞬間に『これは柿衞文庫におつなぎしなくては』と思い、その後、同館の学芸員さんに丹念に調査していただいた結果、もちろん真筆で貴重な資料と評価されて企画展に至ったという経緯があったからだ。
四方田犬彦先生による基調講演『俳句と西洋』
『俳句』はもはや日本独自の文化ではなく、世界中に浸透し詠まれ愛されていいて、文芸、詩作のみならず映像表現など芸術分野にも広く影響を与えている。というお話しで、その中で、私ははからずも再びエイゼンシュテインと出会うことになる。
最初の出会いは大学時代。一般教養の『美学及び芸術学』の授業で衝撃を受けた。
メリエスの『月世界旅行』からはじまり、グリフィスの『イントレランス』、キューブリックの『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』など映画史に残る名作を題材に、クロスカッティング、クローズアップ、カットバックなどの映像手法、モンタージュ理論、サブリミナル効果等々、現代の映像表現にもつながる理論についての講義で、毎週毎週とても楽しみな時間だった。
何よりも印象に残るのはセルゲイ・エイゼンシュテインが1928年に監督・制作した『戦艦ポチョムキン』の有名な『オデッサの階段』のシーン。
ポチョムキン号の兵士たちが起こした反乱を支持する民衆が、ロシア軍の兵士たちに虐殺されるシーンでは、撃たれた母親の手から離れた乳母車が階段を落ちていく様子を、兵士たちの足元、落ちる乳母車、倒れながらも乳母車の行方を見守る民衆たちが繰り返し繰り返しつなげられる。
このモンタージュ理論の手法は、エイゼンシュテインが1928年に初の海外公演をした、日本の歌舞伎の舞台での演出を参考にしたという。彼は晩年には漢字の研究をしており、異なる意味を持つ文字が重なり合い、更に意味を持つ『漢字』の成立に非常に関心を持ち、さらに俳句という短文詩に出会い『俳諧とは凝縮された印象主義的スケッチである』と論じたとという。
学生の頃に映画の黎明期に惹かれた私にとって、映画が出会ったモンタージュという映画独自の手法が、日本の漢字や俳句・短歌の影響に裏付けられていたことにまたもや衝撃を受けた。(あの時、授業でやったのかもしれないけど、覚えていなかっただけかも・・・)
さらなる衝撃は、シンポジウムの翌日、ご来店くださった星月夜(母)さんが、うちの商品の中で、ほとんど誰も気に留めない“ふるい映画チケット”の中から1977年に千日会館で上映された『戦艦ポチョムキン』のチケットを発見してくれたこと。娘さんがロシア映画フリークなのだとか。
そしてこのブログを投稿する今日2月11日がエイゼンシュテインの命日だという事実。
無数の点は線であり面であり世界であることを感じずにはいられない日々である。